



【 見てください!
現地は、台風に伴う雨予報なのに…
明るい雲の切れ目から、少し青空までが…*\(^o^)/*】
主の守りと奇跡的なみわざにハレルヤー
海もこれ以上ない程、穏やかなナギでした(^^;;〓
台風の接近に伴い、教会イベントの決行か否か?
苦悩の選択が求められました。
200名前後の受洗希望者&主の家族の予定、
三台の大型バスや乗用車の手配、BBQ会場の沢山の卓の予約等々…
皆で祈りながら、主を信頼して昨夜決行を決断しました??
たくさんの方々のお祈りと、励ましや応援によって…
私達は、真実な主を奇跡的なみわざを体験しました( ; _ ; )/~~~
まるで聖書にあるモーセのように、
昼は雲の柱、夜は火の柱で臨在を現された主…
乳と蜜の流れる地、カナンを目指したイスラエルの民の…
プチ経験をさせて頂きました(^^;;
今朝、現地周辺の天気予報は朝9:00ずっと100%雨マーク、
時間を追いどんどん悪化??
海も荒れ模様なので警戒情報でした。
一般的に考えるならば、当然責任ある者達は、
安全を選ぶ判断をします。
しかし今回は、主から信仰が試されているように思わされました(^^;;
この群れは、どのように対応するのか?…
今回は、恐らく合格点をくれたのではないでしょうか??
この教訓を通して、さらに真実な主への信仰成長を目指したいと皆で願い、祈ります??
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題:人間が・・神になってしまうのです・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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キリスト教聖職者・・、神学部しか出てないから、何にも知らないのです。
そのキリスト教聖職者が・・言う・・、
「キリスト教聖書で言っている様に、キリスト教の神が、人間を創ったという創造主と・・被造物という人間との・・、神と人間との間に『上下関係』がある」・・と。
また、聖職者が・・言う、
「キリスト教の神は、人間に、『自然を従えよ』と言った。ここに、人間と自然の間に『上下関係』がある」と。
そしてまた、キリスト教の聖職者が・・言う、
「キリスト教は、神・人間・自然を・・、『上下関係』として捉(とら)えています」・・と。
そして、「『創られたもの』としての人間は、決して、『創ったもの』になることは出来ないのです」・・と。
ここで、はっきりしたいのが・・「自然」である。
このキリスト教の神の言う『自然』は・・、「地球の自然を言っているからである」。
当然、地球外のものも自然なのだが・・、
地球以外のものも・・自然だとして捉えると、キリスト教によくある「矛盾」が生じるのである。
つまり、『宇宙すべての自然を従える人間』となってしまう。
宇宙すべての自然を従える人間となると・・、
「人間が・・神になってしまう」。
キリスト教の神は、『人間は神になれない』と言っている。
ここに・・矛盾が「発生している」。
キリスト教は、「キリスト教の神が、宇宙を創造した」と言うが・・、しかし、しかし、なのである。
そのキリスト教の教義は、地球の中で成り立つ思考の教義となっている。
その自然が・・、人間が従えるその自然が・・、
宇宙のすべてを含んだ自然だと考えると・・、
その自然たる宇宙を従えた人間は、キリスト教の神と『同一の神』となってしまう。
この様な矛盾は、キリスト教には一杯あるが・・、これは、『基本中の基本』の大問題である。
キリスト教の神が言っている事は、この様な事になっているのである。
現代の科学は言う、「太陽は、膨張しています」・・と。
その時まで、人類は存続できないのだが・・、例え・・、キリスト教が言うように、人類が・・存続できたとしても・・、
人間は・・地球もろとも太陽に飲み込まれ・・吸い込まれ・・、
人間が、『宇宙全体の自然を、従えるような事など、到底(とうてい)、出来ない』のである。
明らかに、キリスト教の教義・考え方は、『間違っている』のである。間違った考え方で、正しい判断なんて、できないのである。そうだと不幸が訪れてしまいます。
そしてまた、キリスト教の聖職者が、言う・・、
「人間は、徹底的に、人間でしかあり得ないのである」・・と。
「だから、そこに、キリスト教は、人間の平等を説いている」・・と。
この言い方は、拡大解釈、極まりない言い方である。
キリスト教は、序列、極まりない宗教である。
神の下に・・聖職者を置き、頂点にいる神の意志を、その下の聖職者が聞き、その聖職者の下にいるキリスト教の信徒へ、上意下達するのだというキリスト教の考え方・教義、キリスト教のヒエラルキーの序列の世界・・、
その聖職者だって・・身分、階級が・・細かく上下関係がなされていて・・、中には足の引っ張り合いをしていて、エルサレムでは聖職者が乱闘している。
また、天使だって「大天使だ」、何々天使だと序列だらけ。
キリスト教は、何処にも、平等や平等観なんて無い宗教。
序列の宗教、階級の宗教なのだ。有色人種は、劣等だと年がら年中、言っていた宗教。
話を捻じ曲げ、作り出して嘘を言う聖職者たち。
そんな姿の中で・・宗教が成り立っている。
そしてまた、キリスト教の聖職者が、言う・・、
「神に支配されているという意識を持つと、人間が、人間を支配しようという考え・意識はなくなる」・・と。
これは自分に都合のよい話へ、合理性なく、論理性なく、引き込んでいる。
これはまた、キリスト教聖職者の序列の一つを見たって・・おかしいと思う。
キリスト教の神を説くキリスト教の聖職者の世界が、何故、あの様な序列・ヒエラルキーの世界になって居るのか?
また、神の使いの天使の世界も・・序列だらけだが、こんな事は言えたもんではない。
キリスト教の神は、隣国の富を奪いに攻め込ませて・・、
「奴隷にせよ」「奴隷にせよ」と叫ぶ、
キリスト教の神が率先して、人間を、人間以下にする「奴隷にしろ」と言っているではないか? 差別しているではないか?
キリスト教の神が、率先して、人間を人間以下にする卑劣な事をしているではないか? 差別観を植え付けているではないか?
キリスト教は言う、「神の人間支配は良いが、人間が人間を支配すると、危険をまき起こし不幸になる」・・と。
そして、キリスト教は、この事例として「ヒットラーやムッソリーニや日本の戦時体制」を言う。
これは、第二次大戦の不幸な時代をわざわざ持ち出して、キリスト教の神を美化しているに過ぎない。
この様な不幸な人間関係の時もあったろうが・・、キリスト教の例にした事例が悪いだけ、不幸な人間関係は一杯ある。ドイツのヒットラーは、キリスト教に被(かぶ)れて、ユダヤの方々に大変酷(むご)いことをした。
キリスト教の論理展開は、何か素直ではない。
ひねくれた論理展開だ。
ただ、キリスト教の神を、美化したい論理へ持ち込みたいだけだとしか見えない。
お母さんが、愛情溢れた目で見て、子供を導く姿は、微笑(ほほえ)ましい姿に見えます。
導く、そして、導かれるという関係です。
時には、厳しく言う時もあるでしょう。
キリスト教の仕方はこれでない、そして、見方は、短絡的で狭いです。
キリスト教は、どうしても、論理が正しく正常に組み立てられない宗教。どうしようもない宗教。
そして、直しようもない宗教です、関(かか)わってて、このどうしようもないところに陥(おちい)って、
解決しない・・どうしようもない・・この事に、あなたの大切なものが、失われていくことになります。
あなた方を救い出したいので、この様な事を書かせて戴きました。
.. (詳しくは、以下のブログへ)
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009